Q.措置5項目はどの法令根拠に基づくか
改正労働施策総合推進法(令和7年法律第63号)が2026年10月1日に施行されます。同法は、すべての雇用主に対しカスタマーハラスメント(以下「カスハラ」)防止のための雇用管理上の措置を義務付けています(厚労省、2026年2月)。
具体的な措置内容は、厚労省指針(令和8年厚労省告示第51号、2026年2月26日公表)が定めています。指針は5項目で構成され、セクハラ・パワハラの措置義務(均等法・労推法)と同構造です。
5項目の法的位置付け
- 措置義務: 5項目のすべてを実施する義務があります。「1項目だけ対応すればよい」ではありません
- 違反時: 報告徴求 → 助言・指導 → 勧告 → 企業名公表。罰金ではなくレピュテーションリスクが主要な制裁手段です
- 規模による免除なし: 従業員1人以上の全雇用主が対象。中小企業の猶予期間は設けられていません
以下、5項目を順番に解説します。各項目は「指針の要求」「ホテル実務への落とし込み」「成果物の例」の3層で整理します。
Q.措置1: 基本方針の明確化と周知をどう進めるか
指針の要求
厚労省指針は、事業主に以下を求めています。
- カスハラを許容しない基本方針を明確にすること
- 基本方針を就業規則その他の服務規律に関する文書に規定すること
- カスハラの内容、カスハラに該当する行為の例、対応方針を従業員に周知・啓発すること
ホテル実務への落とし込み
宿泊施設では、従業員向け(内向き)とゲスト向け(外向き)の2方向での周知が必要です。
従業員向け(内向き)
- カスハラ対応ポリシーを経営トップ名義で策定する。「従業員の安全を最優先する」「理不尽な要求に屈しない」という姿勢を明文化します
- 就業規則を改定し、カスハラの定義、従業員の報告義務、会社の保護義務を追記します。就業規則の変更は所轄労働基準監督署への届出が必要です
- 全従業員(パート・アルバイト・派遣含む)に対し、方針と具体例を記載した配布物で周知します
ゲスト向け(外向き)
- チェックインカウンター付近に館内掲示を設置。「お客様および従業員の安全のため、迷惑行為には毅然と対応します」という趣旨の文言を掲げます
- 自社ウェブサイトにカスハラ対応方針ページを設置します
- OTA(じゃらん、楽天トラベル等)の施設ページにも方針の概要を記載することを検討します
Q.措置2: 相談体制をどう整備するか
指針の要求
- 相談窓口をあらかじめ定め、従業員に周知すること
- 相談窓口の担当者が内容や状況に応じ適切に対応できるよう必要な措置を講ずること
- 相談したこと等を理由として不利益な取扱いを行ってはならない旨を定め、周知すること
ホテル実務への落とし込み
宿泊施設では、フロントスタッフが24時間シフトで勤務するため、「相談したいが上長が不在」「夜勤中に発生した事案を誰に報告すべきか」という場面が頻繁に発生します。指針の趣旨を満たすには、内部窓口と外部窓口の二重体制が実務上望ましい構造です。
内部窓口
- 担当者: 人事部門の責任者、または支配人(GM)を指名します。夜間帯はデューティーマネジャーが一時受付し、翌営業日に担当者へ引き継ぐフローとします
- 受付方法: 対面、電話、メール(専用アドレス)の3経路を設置。相談記録フォーマット(日時・場所・当事者・概要・証拠有無)を統一します
- 回答期限: 相談受付から3営業日以内に初回フィードバックを行うことをルール化します
外部窓口
- 産業カウンセラー、社労士事務所、弁護士事務所のいずれかと顧問契約を結び、従業員が直接相談できる経路を確保します
- 外部窓口の連絡先は休憩室・更衣室等の従業員専用スペースに掲示します
不利益取扱いの禁止
「カスハラを報告したら評価が下がるのではないか」という不安を払拭するため、就業規則に不利益取扱い禁止条項を明記します。具体的には、相談・報告を理由とする配置転換、降格、減給、雇止めの禁止を規定します。
Q.措置3: 事後の迅速・適切な対応をどう実装するか
指針の要求
- カスハラ発生後、事実関係を迅速かつ正確に確認すること
- 被害を受けた従業員に対する配慮措置(メンタルヘルスケア、配置転換等)を適正に行うこと
- 再発防止策を講じること
ホテル実務への落とし込み
インシデント報告の整備
カスハラ事案が発生した場合、当日中にインシデント報告書を作成します。記載項目は以下の通りです。
- 発生日時・場所(フロント、客室、電話、OTA等)
- 顧客情報(宿泊台帳との紐付け、ただしプライバシー配慮。措置5で後述)
- 行為の具体的内容(暴言の具体的文言、時間、回数等を事実ベースで記載)
- 対応した従業員の氏名と対応内容
- 証拠の有無(録音、監視カメラ映像、メール、OTAメッセージのスクリーンショット等)
エスカレーション基準
「どこからが報告対象か」を現場が迷わないよう、エスカレーション判定基準を明文化します。厚労省企業マニュアルおよびJTB旅連モデルマニュアル(2024年9月公表)を参考に、ホテル向けの基準例を示します。
- 即時エスカレーション(支配人・警察への報告): 暴力行為、器物損壊、脅迫・恐喝的言動
- 当日エスカレーション(支配人へ報告): 30分以上の拘束、土下座要求、従業員個人への攻撃(SNS投稿予告を含む)、性的言動
- 翌営業日報告(人事窓口へ報告): 繰り返しの暴言(同一ゲストから3回以上)、過大な値引き・無料化の要求
被害者ケア
- 被害を受けた従業員に対し、当日中に上長が声かけを行います
- 必要に応じて当該ゲストの対応から担当を外す(配置変更)措置を講じます
- 重度の場合は外部窓口(産業カウンセラー)への紹介を行います
- 事案の収束後、フォローアップ面談(1週間後・1か月後)を実施し、心理的負担の経過を確認します
Q.措置4: 抑止措置(未然防止)をどう設計するか
指針の要求
- カスハラを未然に防止するためのマニュアルの整備
- 従業員に対する研修の実施
- 録音・録画の告知等、カスハラを抑止する措置の実施
ホテル実務への落とし込み
フロント電話の録音システムとIVR告知
フロント電話はカスハラの主要な発生チャネルの1つです。IVR(自動音声応答)を導入し、通話冒頭に以下のアナウンスを流すことで、抑止効果と証拠保全の両方を実現します。
「お電話ありがとうございます。サービス品質向上のため、この通話は録音させていただいております。」 ※ 英語・中国語(簡体字)・韓国語の多言語版も用意することを推奨します
録音は法律上の義務ではありませんが、厚労省企業マニュアルが推奨する抑止策の1つです。東京都奨励金(40万円)の「選択要件」(録音・録画の導入)もこの形で充足可能です(東京都、2025年度要領)。
年1回以上の全従業員研修
研修は以下の構成を推奨します。
- 座学(30分): カスハラの定義、法改正の概要、自社の基本方針、相談窓口の紹介
- ロールプレイ(30分): 典型的な場面(フロントでの暴言、電話での長時間拘束、客室でのトラブル)を想定したシミュレーション
- 確認テスト(10分): エスカレーション基準の理解度チェック
研修は年1回以上を目安とし、新入社員・中途入社者には入社時に実施します。研修実施記録(日時、参加者名簿、内容)を保管しておくことで、行政からの報告徴求に対応できます。
OTAレビュー対応プロトコル
OTA経由の口コミ・レビューにおけるカスハラ(虚偽の内容による業務妨害的レビュー、従業員の個人名を挙げた中傷等)についても、抑止措置の対象として整理します。
- OTAレビューのモニタリング体制を構築する(担当者と確認頻度を決める)
- 事実と異なるレビューに対しては、OTAプラットフォームの報告機能を活用する
- 対応方針(返信するか、プラットフォームに報告するか、法的措置を検討するか)の判断基準を文書化する
Q.措置5: プライバシー保護と不利益取扱い禁止をどう担保するか
指針の要求
- 相談者・行為者等のプライバシーを保護するために必要な措置を講ずること、その旨を従業員に周知すること
- カスハラに関する相談を行ったこと等を理由として不利益な取扱いを行ってはならない旨を就業規則等に定め、従業員に周知すること
ホテル実務への落とし込み
インシデント報告書のアクセス権限
インシデント報告書にはゲストの個人情報(宿泊台帳との紐付け)と従業員の個人情報(被害内容)の両方が含まれます。以下のアクセス制御を設定します。
- 作成者: フロントスタッフ、各部門マネジャー
- 閲覧・編集権限: 人事部門責任者、支配人(GM)のみ
- 保存場所: 共有サーバーのアクセス制限付きフォルダ、または施錠付きキャビネット(紙の場合)
- 保管期間: 指針上の定めはありませんが、労働関係の記録保存義務(労基法第109条: 3年間)を参考に3年以上を推奨します
相談者の匿名性の確保
- 相談窓口への相談内容が、相談者の同意なく直属の上長やゲスト対応部門に共有されない仕組みを設けます
- インシデント報告書において、被害者名は人事部門と支配人のみが閲覧でき、再発防止策の検討会議では匿名化して共有します
就業規則への明記
就業規則(または付属規程)に以下を明記します。
- カスハラに関する相談・報告を行った従業員に対し、解雇、降格、減給、配置転換その他の不利益な取扱いを行わないこと
- インシデント報告書の閲覧は権限を有する者に限定し、目的外利用を禁止すること
- 上記に違反した場合は懲戒処分の対象となること
Q.実務チェックリスト ― 措置5項目の完了基準
| やること | いつまでに | 担当 | |
|---|---|---|---|
| カスハラ対応ポリシー(経営トップ名義)を策定・承認する | 6月上旬 | 経営層 | |
| 就業規則を改定する(カスハラ定義、報告義務、不利益取扱い禁止、プライバシー保護) | 6月末 | 人事・社労士 | |
| 相談窓口(内部+外部)を選定し、窓口一覧を全従業員に配布する | 7月上旬 | 人事 | |
| 相談記録フォーマット・インシデント報告書テンプレートを整備する | 7月上旬 | 人事・総務 | |
| エスカレーション判定基準を策定し、フロントに掲示する | 7月末 | 支配人・フロント部門 | |
| カスハラ対応マニュアル(全部門共通版)を完成させる | 7月末 | 人事・支配人 | |
| 全従業員研修を実施する(座学+ロールプレイ+確認テスト) | 8月末 | 人事・現場Mgr | |
| フロント電話の録音システム+IVR告知を導入する | 9月上旬 | IT・フロント部門 | |
| インシデント報告書のアクセス権限を設定する | 9月上旬 | IT・人事 | |
| 館内掲示物(4言語)を設置する | 9月末 | フロント・総務 | |
| 東京都奨励金を申請する(都内事業者のみ) | 6月募集開始後速やかに | 経理・経営層 | |
| 施行日 ― 運用開始・5項目すべて稼働 | 10/1 | 全部門 |
