Q.カスハラ義務化(2026/10/1)で何が決まったのか

改正労働施策総合推進法(令和7年法律第63号、2025年6月成立)が2026年10月1日に施行されます。これにより、すべての雇用主に対し、カスタマーハラスメント(以下「カスハラ」)を防止するための雇用管理上の措置を講じることが義務付けられます(厚労省、2026年2月)。

改正のポイント

  • 対象: 従業員1人以上のすべての雇用主。中小企業の猶予期間はありません
  • 義務内容: 厚労省指針(令和8年厚労省告示第51号、2026年2月26日公表)で定める措置5項目の実施
  • 行政措置: 報告徴求 → 助言・指導 → 勧告 → 企業名の公表
  • 罰則: 報告徴求に応じない場合等は過料の対象
背景.宿泊業・飲食サービス業の離職率は26.6%(厚労省 雇用動向調査 令和5年)で全産業中2位です。離職原因の上位には顧客対応の負担が挙がっており、義務化対応は離職防止策に直結します。

カスハラの定義(指針における整理)

厚労省指針では、カスハラを以下のように整理しています。

  • 顧客等からの著しい迷惑行為(暴行、脅迫、ひどい暴言、不当な要求等)
  • 従業員の就業環境が害されるもの
  • 「正当なクレーム」と「カスハラ」の境界は、要求の内容の妥当性要求を実現するための手段・態様の社会通念上の相当性の2軸で判断する(指針第2の1)

Q.ホテル・旅館は何をすればいいか ― 措置5項目

厚労省指針が定める措置は5項目です。各項目をホテル・旅館の実務に落とし込んで整理します。詳細は措置5項目の実務ガイドを参照してください。

1
基本方針の明確化と周知
カスハラに対する事業主の方針を明確にし、従業員に周知・啓発する。就業規則や社内規程への明記が含まれます。
実施すること経営トップ名義の「カスハラ対応ポリシー」を策定し、全従業員へ配布。チェックイン時にゲストへも掲示。
2
相談体制の整備
相談窓口を設置し、従業員が安心して相談できる体制を整える。相談したことを理由とする不利益取扱いの禁止が含まれます。
実施すること内部窓口(人事部・支配人)+外部窓口(産業カウンセラー等)の二重体制。相談記録フォーマットを統一。
3
事後の迅速かつ適切な対応
カスハラ発生後の事実確認、被害者への配慮措置、再発防止策を講じる。
実施することインシデント報告書の整備。フロント対応マニュアルに「エスカレーション基準」(暴言3回、30分以上の拘束等)を明記。
4
抑止措置(未然防止)
カスハラを未然に防止するための措置。録音・録画の告知、対応マニュアルの整備、研修の実施等が含まれます。
実施することフロント電話への録音システム導入(「品質向上のため録音」告知)。全従業員向け年1回以上の研修。
5
プライバシー保護と不利益取扱いの禁止
相談者・行為者のプライバシーを保護し、相談等を理由とする不利益な取扱いをしないことを周知する。
実施することインシデント報告書の閲覧権限を人事部・支配人に限定。相談者の匿名性を就業規則に明記。

Q.改正旅館業法の宿泊拒否とどう使い分けるか

2023年12月施行の改正旅館業法では、カスハラに該当する「特定要求行為」を行う宿泊者の宿泊拒否が可能になりました(第5条第1項第3号)。旅館業法側の詳細は2023年改正旅館業法の実務影響を参照してください。

二法の役割分担

  • 改正労推法(2026/10/1〜): 雇用主として従業員を守る義務(内向きの従業員保護)
  • 改正旅館業法(2023/12〜): 事業者として宿泊者を管理する裁量(外向きの宿泊拒否権)

両法は表裏一体の関係にあります。現場運用では以下のフローが推奨されます。

  1. カスハラ発生 → 労推法の措置(従業員保護・記録・報告)を先行
  2. 事実確認で「特定要求行為」に該当 → 旅館業法の宿泊拒否を検討
  3. 拒否判断は複数人(支配人+上長)の合議で行い、記録を残す
注意.宿泊拒否の判断は慎重に。旅館業法第5条は「正当な理由なく宿泊を拒んではならない」が原則です。拒否の客観的根拠と記録が不十分な場合、差別的取扱いと指摘されるリスクがあります。詳細は二法連動運用ガイドを参照してください。

Q.録音・録画は必要か ― 法的論点の整理

厚労省指針では録音・録画を「抑止措置」の例として挙げています。ただし法律上の義務ではなく、導入は事業者の判断に委ねられています。

導入時の法的留意点

  • 個人情報保護法: 録音データは個人情報に該当し得ます。利用目的の特定・通知が必要です。詳細は個人情報保護法と宿泊台帳を参照してください
  • 告知義務: 日本では通話録音に「相手の同意」は法令上必須ではありませんが、厚労省企業マニュアルは「録音していることの告知」を推奨しています
  • 保存期間: 指針上の定めはありませんが、トラブル対応の実務上は6か月〜1年の保存が目安です
実務例.フロント電話のIVR(自動音声応答)冒頭に「サービス品質向上のため、通話を録音しています」と告知するだけで、抑止効果と法的安全性の両方が高まります。東京都奨励金の「録音・録画」要件もこの形で充足可能です。

Q.助成金(東京都40万円)でコストを抑えられるか

東京都「カスタマーハラスメント防止対策推進事業 企業向け奨励金」は、都内中小事業者(常時雇用300人以下、個人事業主含む)に40万円定額を支給する制度です(東京都、2025年度開始、2026年度継続予定)。

申請要件

  1. 必須: カスハラ対応マニュアルの作成・従業員への周知
  2. 選択(1つ以上): 録音・録画の導入 / AI活用 / 外部専門人材の活用

スケジュール(2026年度見込み)

  • 募集開始: 2026年6月予定
  • 申請方法: Jグランツ(電子申請、GビズIDプライム必須)
  • GビズIDプライム取得: 申請から発行まで約2〜3週間。6月募集に間に合わせるなら5月中の申請が目安です
ポイント.マニュアル作成+録音システム導入で必須要件と選択要件を同時に満たせます。40万円は定額支給のため、実質ゼロ円で義務化対応のスタートが可能です。東京都以外の自治体でも類似の助成制度が検討されています。詳細は東京都奨励金の申請手順と要件を参照してください。

Q.インバウンド客のカスハラはどう判定するか

インバウンド客比率の上昇に伴い、言語・文化差を背景としたトラブルが増加傾向にあります。判定のポイントは以下の3軸です。

言語の壁

日本語が通じないゲストへの対応では、「声が大きい=カスハラ」と短絡的に判断しないことが重要です。多言語の告知文(英語・中国語・韓国語)を事前に用意し、エスカレーション基準は行為(暴力・器物損壊・長時間拘束等)で判定します。

文化差

交渉スタイルの文化差(声量・身振り・距離感)を考慮し、「不快に感じた」だけでなく「就業環境を害する水準か」で判断します。JTB旅連事業のモデルマニュアル(2024年9月公表)でも、文化差への配慮が明記されています。

OTA経由のクレーム

OTA(じゃらん、楽天トラベル等)を経由したクレームについても、従業員の就業環境を害する内容であれば措置義務の対象となり得ます。詳細はインバウンド客のカスハラ対応およびOTA経由クレームのカスハラ判定基準を参照してください。

Q.違反したらどうなるか ― 企業名公表の流れ

改正労推法に基づく行政措置は、段階的に進行します。

行政措置のフロー

  1. 報告徴求(第33条): 厚労大臣(実務上は都道府県労働局)が事業主に報告を求める
  2. 助言・指導: 措置義務の不履行について改善を求める
  3. 勧告: 助言・指導に従わない場合の公式な改善勧告
  4. 企業名の公表: 勧告に従わない場合、企業名が公表される
経営リスク.企業名公表は直接的な罰金ではありませんが、採用活動・OTA掲載・取引先との関係に対するレピュテーションリスクは、宿泊業にとって罰金以上の経営インパクトになり得ます。セクハラ・パワハラの措置義務(均等法・労推法)における企業名公表の先行事例でも、公表後に求人応募数が大幅に減少したケースが報告されています。

Q.実務チェックリスト ― 5月〜10/1ロードマップ

カスハラ義務化 ― 5月〜10/1施行までの8ステップ
やることいつまでに担当
基本方針(社内・対外)の文案を決定する5月末経営層・人事
東京都奨励金 申請準備(GビズIDプライム取得・Jグランツ登録)6月上旬経営層・経理
カスハラの定義・判定基準を社内マニュアルに明記する6月末人事・総務
相談窓口を選定する(内部担当者 or 外部委託)7月末人事
全従業員への周知資料を作成する(社内報・ポスター・研修資料)7月末人事
全従業員研修を実施する8月末人事・現場Mgr
録音・録画運用ルールと宿泊拒否連動フローを確定する9月末フロント・法務
義務化施行 ― 運用開始10/1全部門

月次ロードマップ

5月
経営方針の確定 + GビズIDプライム申請
経営層 → 人事・経理
6月
マニュアルv1完成 + 東京都奨励金 申請
人事・総務 → 経理
7月
相談窓口の選定・運用開始 + 周知資料の配布
人事 → 全従業員
8月
全従業員研修の実施(基礎+現場ロープレ)
人事・現場マネジャー
9月
録音運用ルール確定 + 宿泊拒否連動フロー確定 + 総点検
フロント部門・法務・支配人
10/1
施行 ― 運用開始。初月は相談記録の蓄積と振り返り
全部門

Q.よくある質問

従業員1人の小規模旅館でも義務化の対象ですか?
対象です。改正労推法は従業員1人以上のすべての雇用主に適用され、中小企業の猶予期間はありません(厚労省指針、2026年2月)。ただし、措置の具体的な内容は事業規模に応じた合理的な水準で構いません。1人旅館であれば、最低限「基本方針の文書化」と「相談先(外部窓口)の確保」が出発点になります。
「正当なクレーム」と「カスハラ」の線引きはどこですか?
厚労省指針は「要求の内容の妥当性」と「要求を実現するための手段・態様の社会通念上の相当性」の2軸で判断するとしています。たとえば、客室の不具合について改善を求めること自体は正当なクレームですが、大声で長時間にわたり従業員を拘束したり、土下座を強要したりすればカスハラに該当し得ます。
録音せずに対応した場合、義務違反になりますか?
録音は「抑止措置」の一例として指針に挙がっていますが、法律上の義務ではありません。録音なしでも、5項目の措置(方針・相談・事後・抑止・保護)を別の方法で充足していれば義務違反にはなりません。ただし、証拠保全と抑止効果の観点から導入を検討する価値はあります。
インバウンド客に外国語で「録音中」を告知する必要はありますか?
法令上の言語指定はありませんが、告知の実効性を確保する観点から、英語・中国語(簡体字)・韓国語の3言語を併記することが実務上推奨されています。JTB旅連モデルマニュアル(2024年9月)でも多言語告知を推奨しています。
派遣スタッフ・客室清掃の業務委託先の従業員も対象ですか?
指針は、自社が雇用する労働者だけでなく、派遣労働者についても派遣先事業主に同様の措置義務があると定めています。業務委託先の従業員は直接の義務対象ではありませんが、委託元としてカスハラ情報の共有と対応方針の伝達を行うことが望ましいとしています。
旅館業法の宿泊拒否は労推法の措置義務とどう連動しますか?
両法は補完関係にあります。労推法は「従業員を守る義務」、旅館業法は「問題のある宿泊者を拒否できる裁量」です。実務上は、まず労推法の措置(記録・報告・被害者ケア)を行い、その上で旅館業法の「特定要求行為」7類型に該当するかを判断し、宿泊拒否の是非を検討する流れになります。
東京都以外の事業者は助成金を使えないのですか?
東京都奨励金(40万円)は都内事業者限定ですが、カスハラ研修を「人材開発支援助成金」(厚労省、全国対象)で賄える可能性があります。詳細は人材開発支援助成金の解説を参照してください。また、他の自治体でも独自の助成制度の検討が進んでおり、最新情報は各自治体の労働行政窓口にお問い合わせください。