Q.ホテル・旅館で多いカスハラ事例にはどんなものがあるか

厚労省「カスハラ対策企業マニュアル」および JTB旅連事業のモデルマニュアル(2024年9月公表)を踏まえると、宿泊業で頻発するカスハラは10類型に整理できます。以下、発生現場別に分類します。

フロントで発生しやすい4類型

1
暴言・侮辱
フロント・電話
チェックイン時の待ち時間やアップグレード不可への不満から、従業員の人格を否定する暴言を浴びせるケースです。厚労省指針では「ひどい暴言」は就業環境を害する行為とされ、要求内容の妥当性にかかわらずカスハラに該当し得ます。
2
土下座要求
フロント・客室
サービス不備への謝罪として土下座を強要する行為です。社会通念上相当とは認められない手段であり、改正旅館業法第5条1項3号の「特定要求行為」にも該当し得ます。宿泊拒否の検討対象となる典型例です。
4
過度な金品要求
フロント
客室の不具合や料理の不備を理由に、宿泊料金の全額返金や高額な慰謝料を要求するケースです。要求内容が客観的にみて妥当な範囲を超え、かつ執拗に繰り返される場合は、刑法上の恐喝に該当する可能性もあります。
7
差別的発言
フロント
従業員の国籍・性別・容姿等を理由とした侮辱的な発言です。要求内容の有無にかかわらず、従業員の就業環境を著しく害する行為として、厚労省指針の措置義務の対象となります。

客室・館内で発生しやすい2類型

5
威嚇・器物損壊
客室・ロビー
テーブルを叩く、物を投げる、壁を殴る等の行為です。刑法上の脅迫罪・器物損壊罪に該当し得ます。従業員の身体的安全に直結するため、最優先で安全を確保し、躊躇なく警察へ通報してください。
6
性的言動
フロント・客室清掃
客室清掃中の従業員に対する性的な言動や身体的接触です。男女雇用機会均等法第11条の措置義務に加え、改正労推法のカスハラ措置義務の対象にもなります。必ず複数人で対応し、記録を残してください。

電話・メールで発生しやすい2類型

3
長時間拘束(30分超)
フロント・電話
同じ要求を繰り返し、30分以上にわたり従業員を拘束するケースです。厚労省企業マニュアルでは、一定時間を超える対応は「就業環境を害する」水準に達し得るとしています。電話の場合は「対応時間の上限」を事前に設定することが有効です。
8
執拗な電話・メール
電話・メール
同一の要求で1日に何度も電話をかけてくる、深夜にメールを大量送信する等の行為です。態様によってはストーカー規制法の「つきまとい等」に該当する可能性もあります。対応者を固定せず交代制にし、記録を蓄積してください。

OTA・SNSで発生しやすい2類型

9
OTAレビュー脅迫
OTA・フロント
「低評価を書かれたくなければ無料にしろ」等、レビュー投稿を害悪の告知として要求を通そうとする行為です。刑法第222条(脅迫罪)に該当し得ます。レビュー投稿自体は表現の自由ですが、害悪の告知をもって利益を得ようとする行為は違法となり得ます。
10
SNS投稿脅迫
フロント・OTA
「SNSで拡散するぞ」と脅し、過度な要求を通そうとする行為です。OTAレビュー脅迫と同様に脅迫罪に該当し得ます。発言のスクリーンショットやメッセージの保全が重要です。プラットフォーム運営への通報も並行して行います。

Q.事例別の対応フロー ― フロント/客室/電話/OTAで何が違うか

カスハラへの対応は、どの現場で発生したかによって初動が異なります。厚労省企業マニュアルとJTB旅連モデルマニュアルを参考に、「初動5分→エスカレーション→事後対応」の3段階で整理します。

フロント対応フロー(類型1・2・4・7)

段階対応内容時間目安
初動5分 録音開始(告知済みの場合は確認のみ)。相手の発言を復唱して記録。他の宿泊客への影響を最小限にするため、バックオフィスへ誘導する 0〜5分
エスカレーション 対応者を管理者(上長・支配人)に交代。対応時間が30分を超える場合は「本日はここまでとさせていただきます」と区切る。暴言が3回以上繰り返された場合も同様 5〜30分
事後対応 インシデント報告書を作成(日時・発言内容・対応者名・証拠の有無)。被害従業員のケア(相談窓口の案内)。再発防止のため月次振り返りで共有 当日〜翌日

客室・館内対応フロー(類型5・6)

段階対応内容時間目安
初動5分 従業員の身体的安全を最優先。客室から退出し、廊下または管理エリアに移動。器物損壊・暴力の兆候がある場合は即座に110番通報 0〜5分
エスカレーション 管理者2名以上で対応。性的言動の場合は被害者と同性の管理者を含める。客室の状況を写真で記録。必要に応じて警備会社・警察に連絡 5〜30分
事後対応 被害従業員への産業医・カウンセラーの紹介。器物損壊がある場合は損害額を算定し、法的対応を検討。旅館業法に基づく宿泊拒否を合議で判断 当日〜1週間

電話・メール対応フロー(類型3・8)

段階対応内容時間目安
初動5分 通話録音を確認。メールの場合は受信時刻・内容を保全。同じ要求の繰り返しが始まった時点で「お時間をいただき、改めてご連絡します」と一旦区切る 0〜5分
エスカレーション 対応者を交代(同じ従業員が継続対応しない)。1日3回以上の架電がある場合は記録を管理者に報告。執拗な場合は警察への相談を検討 当日中
事後対応 通話記録・メール履歴を時系列で整理。ストーカー規制法に該当し得る場合は弁護士に相談。対応者のメンタルケアを実施 翌日〜1週間

OTA・SNS対応フロー(類型9・10)

段階対応内容時間目安
初動5分 脅迫的な発言のスクリーンショットを即座に保全(URL・日時・投稿者名を含む)。フロントで直接言われた場合は録音を確認 0〜5分
エスカレーション 証拠を管理者・法務担当に共有。弁護士に相談し、脅迫罪の構成要件を確認。OTAプラットフォームの「不適切レビュー通報」機能を利用 当日〜翌日
事後対応 弁護士の助言に基づく法的対応(内容証明・被害届等)。プラットフォーム運営との連携。社内での事例共有と再発防止策の検討 1週間〜
共通原則.すべての現場に共通するのは「1人で対応しない」「記録を残す」「30分を超えたら区切る」の3点です。JTB旅連モデルマニュアルでも、対応者の孤立を防ぐ体制づくりが強調されています。

Q.「正当なクレーム」と「カスハラ」はどこで線を引くか

厚労省指針(令和8年厚労省告示第51号)は、カスハラの判定に2軸判断を用います。

2軸判断の枠組み

  • 軸1: 要求内容の妥当性 ― その要求が事業者のサービス内容・契約内容に照らして合理的か
  • 軸2: 手段・態様の社会通念上の相当性 ― 要求を実現するための手段(声量・時間・回数・方法)が社会通念上許容される範囲か

事例で見る2軸判断

場面要求内容の妥当性手段の相当性判定
空調故障 → 部屋変更を要求 妥当 相当(冷静) 正当なクレーム
空調故障 → 全額返金+慰謝料10万円を要求 過大 相当(冷静) 不当要求(カスハラの可能性)
空調故障 → 部屋変更を要求(2時間拘束+暴言) 妥当 不当 カスハラ
空調故障 → 全額返金+土下座を要求(暴言) 過大 不当 カスハラ(重度)

重要なのは、要求内容が正当であっても、手段が不当であればカスハラに該当し得るという点です。「お客さまのおっしゃることはごもっともですが、対応方法については改めさせてください」という対応が有効です。

注意.「常連だから多少は仕方ない」「悪気はないはず」という判断は、厚労省指針の2軸判断には含まれません。従業員の就業環境が害されている事実があれば、相手の属性や過去の取引関係にかかわらず措置義務が発生します。

Q.宿泊拒否までいくケースで必要な記録は何か

改正旅館業法第5条1項3号は、「特定要求行為」を行った宿泊者の宿泊拒否を認めています。ただし、拒否の判断を裏付ける記録が不十分な場合、差別的取扱いと指摘されるリスクがあります。

特定要求行為の7類型(旅館業法施行規則)

  1. 宿泊料の不当な割引要求
  2. 不当な部屋の指定・変更要求
  3. 不当な遅延チェックアウト要求
  4. 不当なサービス・アメニティの要求
  5. 土下座等の社会通念上不相当な謝罪要求
  6. 泥酔・迷惑行為による他の宿泊者への支障
  7. その他宿泊サービスの提供を著しく阻害する行為

宿泊拒否の判断に必要な記録

宿泊拒否を行う場合、以下の記録を整備してください。

  • 日時: 行為の発生日時(年月日・時分)
  • 発言内容: 可能な限り具体的に記録。録音データがあれば最良
  • 対応者: 対応した従業員名と管理者名
  • 証拠: 録音、録画、メール・メッセージのスクリーンショット、写真(器物損壊の場合)
  • 判断根拠: 特定要求行為の何号に該当すると判断したか
  • 合議記録: 支配人・上長等の複数名による合議の記録(日時・参加者・判断内容)
実務例.インシデント報告書のフォーマットを統一し、上記の6項目をすべて網羅する形式にしておくことが推奨されます。書式が統一されていれば、記録の漏れを防ぎ、後日の法的対応でも証拠として有効に機能します。詳細は旅館業法の宿泊拒否と連動運用を参照してください。

Q.過去の事例から学べる未然防止策は何か

カスハラは事後対応だけでなく、未然防止策を講じることで発生頻度と重大度を下げられます。厚労省指針の「抑止措置」と JTB旅連モデルマニュアルの推奨事項を踏まえ、4つの施策を整理します。

施策1: ポリシーの掲示

フロント、客室内、予約確認メールにカスハラ対応ポリシーを掲示します。ポリシーには「暴言・脅迫等の迷惑行為があった場合、サービスの提供をお断りする場合があります」と明記します。JTB旅連モデルマニュアルでも、チェックイン時の書面告知が推奨されています。具体的な文例はチェックイン時のポリシー掲示文例集を参照してください。

施策2: 録音の告知

フロント電話のIVR(自動音声応答)冒頭に「品質向上のため通話を録音しています」と告知するだけで、抑止効果と証拠保全の両方が得られます。録音が記録されていることを宿泊者が認識するだけで、暴言や過度な要求が減少する傾向があるとされています。

施策3: 研修の実施

年1回以上の全従業員研修が推奨されます。座学だけでなく、事例ベースのロールプレイが有効です。本記事の10類型を素材に、各現場で「自分だったらどう対応するか」を考える形式が実践的です。

施策4: チェックイン時の告知

チェックイン時に宿泊約款の該当箇所を指差し確認する方法です。「当施設では、迷惑行為があった場合、ご退去をお願いすることがあります」と口頭で伝えるだけでも、事前の注意喚起として機能します。

コスト目安.録音システム導入は、クラウド型PBXの場合月額数千円〜で導入できます。東京都の奨励金(40万円定額)の選択要件「録音・録画の導入」にも該当し、実質ゼロ円での導入も可能です。

Q.事例ベースで備えるためのチェックリスト

ここまでの10類型と対応フローを自施設に落とし込むための実務手順をまとめます。

カスハラ事例10類型への備え ― 7つの手順
やることいつまでに担当
10類型を自社事例に照合し、発生頻度をリスト化する6月上旬支配人・フロント責任者
類型別の対応フローを1枚にまとめる6月中旬人事・フロント責任者
フローを全従業員に配布し、読了サインを回収する6月末人事
事例ベースのロールプレイ研修を実施する7月末人事・現場マネジャー
インシデント報告書の様式を統一する7月末総務
録音・ポリシー掲示等の抑止措置を導入する8月末フロント・総務
月次振り返りと改善会議の実施(初回)10月末支配人・人事

チェックリストの各項目は、カスハラ義務化対応ガイドで定める措置5項目と連動しています。義務化対応の全体ロードマップと合わせて進めてください。

Q.よくある質問

クチコミ星1で脅されたら脅迫罪になりますか
「低評価を書かれたくなければ○○しろ」という発言は脅迫罪(刑法第222条)に該当し得ます。OTAレビューの投稿自体は表現の自由ですが、害悪の告知をもって要求を通そうとする行為は違法となる可能性があります。スクリーンショットを証拠保全し、弁護士に相談してください。
「常連さん」のクレームでもカスハラ判定していいですか
常連かどうかは判定基準に影響しません。厚労省指針の2軸(要求内容の妥当性×手段の相当性)で判断します。過去の取引関係を理由にカスハラを許容すると、従業員の就業環境が悪化し離職リスクが高まります。
多人数グループで暴れる客は警察を呼んでいいですか
器物損壊・暴行の恐れがある場合は躊躇なく110番通報してください。旅館業法の「宿泊を拒むことができる」事由(第5条1項3号の特定要求行為)にも該当し得ます。まずは従業員の安全確保を最優先にしてください。
連泊客のカスハラはいつ宿泊拒否を出すか
連泊中でも、特定要求行為が確認された時点で「次の泊以降の宿泊拒否」は法的に可能です。宿泊中の退去強制は慎重に行う必要があり、複数の管理者による合議と記録が不可欠です。
パートタイム従業員にも対応フローを共有すべきですか
共有すべきです。改正労推法の措置義務は雇用形態を問わず全従業員に適用されます。パートタイム・派遣スタッフもカスハラの被害を受ける可能性があり、対応フローと相談窓口の周知が必要です。
録音データは何か月保存すればいいですか
厚労省指針に保存期間の定めはありませんが、労働紛争の時効(3年)や民事訴訟の証拠保全を考慮すると、最低でも1年間の保存が実務上の目安です。個人情報保護法の観点から、利用目的に必要な期間を超えた保存は適切ではありません。保存期間を社内規程で明記してください。