チェックイン日の朝に電話が鳴った
金曜の朝8時。フロントに電話が入る。「今日チェックインの予約なんですが、キャンセルしたいんです」。80室のビジネスホテル、稼働率92%の金曜日。ツイン1室、1泊12,000円の予約だった。
フロントスタッフが保留にして支配人に聞く。「キャンセル料、請求しますか?」
支配人は一瞬詰まる。OTA経由の予約なら、OTAのキャンセル規定が適用される。しかしこの予約は電話で直接入ったものだった。自施設のキャンセルポリシーは──いつ、誰が決めた何%だったか。
こういう場面は珍しくない。OTA経由の予約が多いほど、自施設のキャンセルポリシーは手つかずのままになりやすい。しかし直予約を増やすなら、避けて通れません。
キャンセルポリシーが曖昧なまま運営するリスク
スタッフが請求の判断をできない
キャンセル料を請求するかどうかを、そのつど支配人に確認する運用になります。支配人が不在のときは「今回は結構です」で済ませてしまう。判断基準がなければ、対応が人に依存します。
ゲストから「聞いていない」と言われる
キャンセル料を請求しても、予約時に伝えていなければ「そんな説明はなかった」と反論されます。消費者契約法は、事前に合意のない違約金条項の効力を制限しています。掲示していないキャンセル料は、請求しても根拠が弱い。
損失が見えない
キャンセルによる売上の逸失を把握していない施設は少なくありません。稼働率が高い日に前日キャンセルが入り、再販できなければ、その部屋の売上はゼロです。ポリシーがなければ、この損失がいくらなのかも測れません。
キャンセル料率の相場 ── 業界で広く使われている基準
多くの宿泊施設は、モデル宿泊約款(国際観光ホテル整備法に基づく標準約款)の別表を参考にキャンセル料率を設定しています。法定の義務ではない。ただ業界の共通認識として定着しており、ゲストにも受け入れられやすい水準です。
| キャンセル通知の時期 | 料率の目安(宿泊料に対する割合) |
|---|---|
| 連絡なし不泊(ノーショー) | 100% |
| 当日 | 80% |
| 前日 | 20% |
| それ以前 | 無料 |
※上記はモデル宿泊約款を参考にした個人客(14名以下)の目安。団体客(15名以上)は前日50%、3日前以前にも段階的な料率を設定するケースが一般的です。
キャンセル料は高く設定するほど抑止力になりますが、消費者契約法第9条は「平均的な損害の額を超える部分は無効」と定めています。たとえば14日前の時点で100%を請求する規定は、再販の余地があるにもかかわらず全額を請求していることになり、争われた場合に無効と判断される可能性があります。相場に沿った料率が、結果的にもっとも安全です。
自施設のポリシーを設計する ── 何を基準に決めるか
宿泊単価と再販可能性のバランス
キャンセル料率は「キャンセルによって施設が被る損害」の代償です。宿泊単価が高ければ1室あたりの損害も大きい。料率を高めに設定する根拠になります。一方、都市部のビジネスホテルは当日でも再販できる可能性が高く、リゾート施設は再販が難しい。再販の見込みが高い施設なら、当日キャンセルでも80%ではなく50%にする選択はあり得ます。
料金発生の開始時期
個人客のキャンセルは、前日と当日に集中します。7日前からキャンセル料を設定すると、予約のハードルが上がります。ビジネスホテルの場合、前日からの2段階(前日20%・当日80%・ノーショー100%)で運用している施設が多い。旅館やリゾートは1週間前から段階を刻むケースもありますが、個人客に対して14日前から料率を設定している施設はまれです。
プランごとの使い分け
すべての予約に同じキャンセルポリシーを適用する必要はありません。「キャンセル不可プラン」を通常料金から10〜15%引きで設定し、通常プランには標準のキャンセルポリシーを適用する方法があります。ゲストに選択肢を提示することで、施設はキャンセルリスクを減らし、ゲストは割引を受けられる。OTA各社が「返金不可プラン」を設定できるのと同じ考え方です。
OTAとの整合性
OTAはプラン単位でキャンセルポリシーを設定できるため、自社予約と完全に統一する必要はありません。ただし、同じプランがOTAと自社サイトで大幅に異なると、ゲストが混乱します。基本の料率はOTAに揃えたうえで、自社予約にはキャンセル期限の延長や変更手数料の無料化といった特典をつける方法が現実的です。「自社で予約した方がキャンセルしやすい」という動機づけにもなります。
ポリシーを掲示する ── 決めただけでは請求できない
キャンセルポリシーを決めても、ゲストに伝えていなければ請求の根拠になりません。以下の場所に明記しているか、確認してください。
- 自社予約サイトの予約確認画面にキャンセルポリシーを表示している
- 予約確認メールにキャンセル料率と適用条件を記載している
- 電話予約の際にキャンセルポリシーを口頭で伝え、確認メールも送っている
- フロントの見える位置にキャンセルポリシーを掲示している
- 宿泊約款にキャンセル料の別表を記載している
このうち重要なのは、予約確認画面と予約確認メールです。ゲストが予約を確定する時点でポリシーに目を通し、同意する仕組みを作っておくことが、請求の裏付けとしてもっとも確実です。
電話予約の場合は口頭の説明だけでは記録が残りません。予約受付後に確認メールを送り、そこにキャンセルポリシーを明記しておくことで、「聞いていない」という反論に備えられます。
キャンセルポリシーは施設の信頼を守る仕組み
キャンセルポリシーは「ゲストからお金を取るための規定」ではありません。直前キャンセルやノーショーが起きたときに、損害を抑え、スタッフが迷わず対応でき、ゲストとも揉めずに済む。そのための仕組みです。
OTA経由の予約にはOTAのキャンセル規定がある。しかし直予約を増やしていくなら、自施設のキャンセルポリシーは自分で決めなければならない。相場に沿った料率を設定し、予約時に掲示し、ゲストの同意を得ておく。この3点を整備するだけで、冒頭の「請求できるのか」という問いに、スタッフの誰もが迷わず答えられるようになります。
